ヘブライ人への手紙 5章11節~6章3節
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月報巻頭言集
 泉北伝道所 牧師 安田 修
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2016年10月
 この聖書の個所を読みますと、わたしたちキリスト教信徒にとって、大変厳しい言葉が並べられていますが、同時に、

わたしたちが“成熟した信徒”になるようにと、著者の非常に「熱い思いと励まし」が伝わってくることを、誰しも感じざるを

得ないはずであります。11節では、著者は、「わたしたちの主イエス・キリストが、前節までに証しされている『偉大な大祭司』

であり、『救いの創始者』でいましたもうことについては、あなたがたに話すべきことがたくさんあるのですが、あなたがたは

霊的に鈍くなって、その言葉が耳に入らないのだ」と嘆いております。あなたがたは、再生の洗礼を受けて何十年になるのに、

信仰上、一番大切なことが、あなたがたの中心にまだ据え付けられていないと、言っているのです。別の面から言いますと、わた

したち日本キリスト教会は、否、広く現在の日本のプロテスタントが、信仰的な危機状態にあるのです。そのことは、端的に言え

ば、教勢の伸び悩みと教師の不足に現れています。日本キリスト教会の近畿中会だけでも、42の全教会・伝道所に対して、8教会・

伝道所(約20%)の教師が不足しています。教師が不足して、いったい伝道が進展するものでしょうか。12節では、「実際、あな

たがたは今ではもう『教師』となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、・・・」と著者は

深く嘆いております。現代的に言いなおしますと、もちろん人によっても違いますが、洗礼を受けて、例えば10年か20年も経てば、

その間に、聖日礼拝を守り、日曜学校の教師などを任されれば、キリスト教信仰の基本的な事柄(6章の1-2節の事柄)は、身につ

いて来て、「人に教えることのできる信仰」が得られるはずだと言っているのです。仮に、25歳位で洗礼を受け、40歳位になれば、

誠実なキリスト者(成熟した信徒)ならば、だれでも教師となる基本的な資格が、得られるのだと言っているのです。もちろん、

教師になるには、召命意識が最も重要ですし、神学校に入学し、卒業しなければなりません。また、40歳位では、明らかに遅いと

いう人もいますし、また、この世的には恵まれた生活を放棄しなければなりませんし、また「多くの人が教師となってはならない」

という戒めのみ言葉もあります(ヤコブ3・1)から、慎重に、また謙遜に判断しなければなりませんが、40歳代の成熟した信徒の

うち、せめて10人に一人でも、教師を目指していたならば、今日のような「教師不足」は避けられたはずであります。今まで、この

ような「教師の養成」に関する熱い願いと思いが、各個教会の中で祈られてきたでしょうか?結局教師不足が、日曜学校の不振を

産み、また教勢の不振を産んでいる。この「悪循環」に陥っているのだと思われます。私達は少子化だの、高齢化等と言って手を

こまぬいていてはなりません。何よりもまず、教師への志を信徒に与えて下さるように、わたしたちが「良き循環」の中に入ること

ができるよう、「わたしたちは、今にも沈みそうなのです」と、わたしたちの「生ける主に」、篤い祈りがささげられなければなり

ません。次いで、キリスト教の教師をも生んで下さる日曜学校が継続され、発展させられることを、主に願わなければなりません。

日曜学校は、単に生徒に祝福と喜びが与えられるだけではなく、その生徒の家庭とまた、日曜学校の教師にも、そしてその教会自体

にも、大きな祝福と喜びが与えられます。

 私どもの泉北伝道所でも、9月からやっと、日曜学校を月1回だけではありますが、再開にこぎつけることができました(3名出席)。

心より感謝して、歩み続けたいと思っています













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  「あなたがたは、今ではもう教師になっているはずなのに」