月報巻頭言集
泉北伝道所  牧師 安田 修
月報巻頭言
泉北伝道所 月報 2014年8月

このフィリピの信徒への手紙は、パウロの晩年 52-54 年ころに恐らく、ローマの獄中で、パウロのヨーロッパ伝道で

最初の教会として建設された、フィリピの教会宛てに書かれたものであろうといわれています。この手紙には彼の殉教の

予感が感じられるにもかかわらず、全編に喜びがあふれています。それは、彼がキリストに従うことにより、自らの苦難を通して、

キリストの苦難と命にあずかること、また福音が人間の思いを超えて前進することを、彼は見て信じていたからです。

 今回の個所においても、「常に喜ぶこと」と「広い心をもつこと」が勧められています。4節において、「常に喜びなさい」

と勧められていますのは、一時的に、何かに喜ぶことではなくて、「喜び続けなさい」という意味です。それは、私たち

キリスト者は、どのような悲しみがあっても、また苦しみがあっても、私たちのそばにいつも、主がともにいて下さること、また

主から聖霊が与えられていて、み言葉を学ぶとき、また祈る時に、私たちを常に励まして下さることを知っているからであります。

5 節では、「あなたがたの広い心が、全ての人に知られるようにしなさい」と勧められています。この「広い心」という言葉

“エピエイケイア”は、ギリシャ語から他の言葉に翻訳するのが困難な言葉でありまして、日本語では「寛容」とか「温和」とか

「柔和」とか訳されていますが、パウロは、この「広い心」が私たちキリスト者の基本的な特徴でなければならないと

考えています(
1 テモテ 3:3、テトス 3:2、1 ペトロ 2:18、使徒 24:4、2 コリント 10:1、ヤコブ 3:17 等参照)。私たちキリスト者は、

熱心さの故、また伝道にこだわるあまり、「建前」や「規則」などを押し付けたりしがちでありますが、そのような心を戒めて

いるのです。“伝道”より大切なこと、それは、教会に集う人々における“相互の愛と互いに仕えること”であります。

この愛は、神御自身が持っておられる「広い心」つまり、神の憐れみ、神の愛から出ているものです。また「仕えること」の根拠は、

主イエス・キリストの私たちに対する驚くべき、自己犠牲にあります。このことは、この手紙にある、キリスト賛歌
2:6~9

お読みいただければ、キリストの驚くべき謙遜さと広い心が分かります。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しいもの

であることに固執しようとは思わず、却って、自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。

人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、

あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」

私たちがこの「広い心」を忘れると必ず伝道は行き詰ります。私は、日本キリスト教会は、本当に誠実で真面目なキリスト教信仰を

持っている素晴らしい教会であるということを益々確信するようになってきましたが、往々にして、この「広い心」を忘れている場合が

あるのではないかと恐れます。信仰熱心なあまり、この「広い心」(キリストの心)を忘れないように致しましょう。

 6 節では、「どんなことでも思い煩うのはやめなさい」と勧められています。それは、私たちが、思い煩わなくても、神様ご自身が

私たちのために、常に思い煩っていて下さるからであります。私はそのことを、今回、泉北伝道所に招かれて、特に痛切に感じました。

神様は、私たちの知らないところで、着々とその業をなさっていたのです。そのことを示す、いくつもの“しるし”が私たちには

与えられています。「何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、

あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」と記されています。

思い煩いは主に任せて、私たちが求めているものを神に打ち明けるのです。すると、私達は神様からの平安と喜びが与えられて、

私たちのなすべき事が明確になり、そのことに邁進できるようになります。
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「広い心を持つ」  フィリピの信徒への手紙 4 章 4 節~7 節