「日よ、月よ、主を賛美せよ。輝く星よ、主を賛美せよ。天の天よ、天の上にある水よ、主を賛美せよ。主の御名を賛美せよ。
主は命じられ、すべてのものは創造された。(詩編148編)」
2014年の歩みが始まりました。街中は、12月25日がすむと、あっという間に、クリスマスの風景から、しめやかな
新年の装いへと一変します。初日の出を拝んだり、さまざまな物が、神さまとして拝まれる様子がテレビに写し出されます。
けれども、教会の暦では、アドベントとクリスマスを、新しい年の始まりと考えます。
詩編148編では、スケールの大きい讃美の歌が歌われます。人間にとって、太陽の存在は、本当に大きいものです。
何億年か先には、太陽がなくなってしまうという計算もされているようですが、科学的に考えて、太陽のない世界に人間は到底
生きられませんから、太陽を神さまとして拝むのは、人間のごく自然な感覚なのかもしれません。しかし、聖書は、その太陽や月や星に、
「神を讃美せよ」、と命じます。太陽を拝むのではなく、何も無い状態から太陽を創造されたお方を礼拝するのです。
創世記の第1章に記される天地創造の出来事において、神さまは、まず、混沌のなかに、み言葉をもって光を創造し、夕と朝、
すなわち時の流れを創造されました。天体を作ってそれらを治めさせたのは、創造の四日目になってからのことです。
そうだから、日も月も輝く星も、神さまに造られた被造物として、神さまを讃美するのです。
一年でいちばん日が短い冬至の日を過ぎて、どんどん太陽がちからを帯びてくるこの時期に、世界のさまざまな地域で
太陽の誕生を祝う祭りや、太陽を拝む儀式がもたれてきました。そして、そのような時だからこそ、クリスマスが祝われるように
なったと言われています。皆が初日の出を拝むようなときだからこそ、わたしたちは、太陽を創造された神さまを礼拝し、
空の太陽ではなく、義の太陽としてわたしたちの上に昇られた、主イエス・キリストを拝むのです。